新聞で、偶然見つけた「名画鑑賞入門講座『モナリザとヴィーナスに隠された謎』」に、参加してきました。
前から、ルーヴルやロンドンナショナルギャラリーなどで絵を見るたびに、もう少し美術史やキリスト教についての知識があればもっと見方が深くなるだろうにと思っていましたし、つい最近例の『ダ・ヴィンチコード』を読んで、今回の中心となるボッティチェルリもダヴィンチも同じシオン修道会の総長だったと名指しされているのです。これは聞きにいこうと思ったわけです。
とても充実した2時間でした。
今回の講座で取り上げられていたボッティチェルリの絵「春(プリマヴェーラ)」と「ヴィーナスの誕生」は、フィレンツェのウフィッツェ美術館で見ています。想像した以上に絵が大きいこと、足下の花や衣装など細かいところまで精密に書かれていることに感動しました。(愛犬の名前「フローラ」は、春の右に描かれる花の女神から取りました)
今回、改めて中世暗黒時代の神の世界だけが重要で、人間の生活は下にみていた時代から、十字軍の遠征やそれによるイスラム世界との交流による思想の変化、つまり、その神中心の世界観から、生きている自分たちの世界こそが価値があるのではと思いはじめたまさに人文主義、ルネッサンスの時代を再認識しました。
その時代だからこそ、個人の邸宅に飾られる目的でこのような等身大のヌードの絵が描けたのだし、そのあとの時代、ルーベンスの豊満な女神達が続くわけです。
この2枚の絵が天上(裸)のヴィーナス(裸神への愛)と地上(着衣)のヴィーナス(人間界のはかない愛)を描き、ある意味で対となっていることは初めて知りました。また絵が飾られたメディチ家の家族間の対立が、春の絵の左ヘルメスの衣装の模様に見て取れることを知って、やはりもう一度、きちんと自分の目で絵を見てきたいと思いました。最近の研究で、邸宅で対で飾られていたのは、ボッティチェルリのもう一つの絵「ミネルヴァとケンタウロス」であったことがわかり、それも意味ある対であったことなど、興味深い話が出てきました。絵画の意味論というのでしょうか、そんなことをもっと勉強したいと思いました。(どなたか、いい参考書があったら教えてください)
また、レオナルド・ダ・ヴィンチは、そのボッティチェルリより7歳下で、同じフィレンツェのベロッキョの工房に入門したときには、ボッティチェルリは既に一人前の画家で、ラテン語の能力もありメディチ家のサロンに自由に出入りしていたそうです。ダ・ヴィンチは私生児で、ラテン語など習う環境でなかったそうで、そのサロンには一度も招待されなかったようで、そのことで、ちょっと嫉妬してノートに悪口を書いているとか。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、身体も大きく壮健で、ハンサムだった(他の画家が彼をモデルに絵を描いているほど)にもかかわらず、生まれてすぐに母と別れて育ったからか、実父が4回も結婚し子が12人もいたから反動からか、とにかく、女嫌いで生涯独身だったそうです。(当時のフィレンツェはホモの町だったそうです)
ルネッサンスが理想と見たギリシャ文化でも、プラトンでさえ肉体も魂も美しい男同士の愛が最高と言っているそうな。(日本でも戦国時代など男色が盛んでした。織田信長と小姓、森蘭丸など有名)
そのダヴィンチの絵で完成品は10点ほど、中途放棄の作品が膨大な数だったようで、前金だけもらって、そのまま他の都市や国に行ってしまうということがたくさんあったそうです。
モナリザは、その未完成品の一つ。重ねられた右手を見ると左手と比べると明暗法(スフマート)による立体描写が弱いので、未完であることがよくわかるそうです(今度、よく見てみよう。。。でも、今、ルーブルのモナリザの前は、例の『ダヴィンチ・コード』の影響ですごい人だかりで、近くに寄るのも大変だそう)
モナリザの表情が左と右ではあきらかに違っているとよく言われますが、その背景も左側が見下ろしたもので、右側は見上げたようなもの、あきらかに矛盾している。この風景に託されているのが、火、空気、水、土という四大元素の特にダヴィンチが重要に考えていたのが、水だそうですが、その水が最後には枯れて終わる様子を描き、地球が絶え間なく変転し、そして終わることを暗示しているという説があるんだそうです。
『ダ・ヴィンチ・コード (上)ダ・ヴィンチ・コード (下)』は、いま世界で読まれているわけですが、ダ・ヴィンチはやはりローマカソリックにつながる信仰とはちょっと別なものを考えていたような気がしてきました。
パリやルーヴル美術館の中のお勧めのカフェなども教えていただいたので、行ってみたいです!
まずは、前に買ってあった『カラー版 西洋美術史』(高階秀爾監修)を本棚から引っ張り出して、読み直します。
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