« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

大歌舞伎

クリスマスイブの歌舞伎座、もしかしてガラガラ?なんて思っていたら、いやあ、ほとんど満席。
今年最後の歌舞伎は、昼の部です。
「御所桜堀川夜討」から「弁慶上使」の一幕。橋之助の弁慶初役。福助がおわさ。この出し物は、昨年も、きっと見ているのではないかと思うのですが。。。緋色の襦袢の片袖ずつというので思い出しました。どうも、歌舞伎も文楽も外題ではまだ見分けがつかず、見ているうちに「あれ?これ知っている。。。」となるわけです(..;)
橋之助の弁慶、ちょっとまだ線が細いような気がしました。最後の「三十余年の溜め涙・・・」の大泣きのところも、なんだか、ちょっと中途半端だったような。
次の「猩々」と「三社祭」は舞踊で、勘太郎と七之助。昼食の後だったので、どうも腹の皮が引っ張られた分、まぶたの皮はゆるんでしまい。。。善玉、悪玉のお面を見ながらウツラウツラ。。。すみません、ほとんど見てません。どうも宝塚はダンスが好きなのですが、歌舞伎はどうも踊りになると眠気がきてしまうようです。
「盲目物語」は谷崎潤一郎の小説を宇野信夫が演出したもの。勘三郎の盲目の按摩、弥助と玉三郎のお市の方。勘三郎は秀吉との早変わりを見せます。しっとりとしたいい出し物でした。それにしても、玉三郎の美しさ。眼の見えない弥助はその指で、お市の方の美しさを見て(?)恋するのですが、いや誰が見てもホレボレ。。。
納めの歌舞伎でしたが、大満足でした。

帰りがけ、4丁目の三越の地下でケーキを買って帰ろうと思ったのですが、中へ入ると、まあすごい人、人、人。
なんだか、並んでいるその人並みを見ただけで、もうお腹いっぱいになってしまい、きびすを返しました。家の近くのケーキ屋でショートケーキを買って帰りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文楽夜の部「一谷ふたば軍記」

今月の国立小劇場は、昼は文楽鑑賞教室でも弁慶と牛若丸ものだし、夜も源平合戦の一の谷もの。やはりNHKの影響は大きいのでしょうか。
 今回は、その夜の部を見ました。歌舞伎でもついこの間、片岡仁左衛門の「熊谷陣屋」を見たばかりだし、去年11月に、幸四郎と染五郎で、この「一の谷」を見ました。同じ演目を数回見ることで、ストーリーも見所もわかってきました。
見得の型も歌舞伎と同じ。というか、人形浄瑠璃が先で、歌舞伎はそれを後追いしたのでしょうが。

今回、義太夫がこれからの文楽を担う中堅を主体としていて、竹本千歳太夫と文字久太夫が熊谷陣屋の段を語っていました。文字久太夫の語りよかったですよ。ほんとうに人形が語っているようでした。今回は人形の主遣い(直実・・吉田玉女さん、相模・・吉田和生、藤の前・・桐竹勘十郎さん)に全然目がいかなかったほど。そうそう、その文字久太夫の語りの途中、野澤錦糸さんの三味線の糸が切れてしまって。錦糸さん、あわてず騒がず、さっと糸をまた張っていました。人形と語りに引き込まれていたので、もしかしたら、お客様の中には気づかない人たちもいたのではないでしょうか。。。それほど、熱が入っていました。

今月は、昼の部は、文楽教室なので、一般の公演は、夜5時開演でした。実は出かける前は、なんだか、寒いしだんだん暗くなってくるし、ちょっと億劫だったのですが、やはり見にいってよかったです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ダンスの月組かな

宝塚、2回目の月組の観劇(『Jazzyな妖精たち』『Revue of Dreams』)

前回は、2階席だったので、ダンス場面などは全体がよく見られましたが、お気に入りのキリヤンは芝居でもレビューでも帽子を目深に被っている場面が多く、お顔が見えませんでしたが、今回は、1階席です。登場のたびに、オペラグラスでしっかり。。。うん、満足。
 
この公演では、レビューのほうだけでなく、芝居でもプロローグのリバーダンスはもちろんですが、タップや群舞場面が多いです。「Jazzy」の振り付けは誰かと思ったら、「尚すみれ」さん。なつかしい。70年代、雪組で、ターコさん(麻実れい)たちと一緒に舞台に立ち、ダンスの名手で、人気がありました。
 きょうは、夏河ゆらさん、倉庫の場面で、立て続けのセリフ、ちょっとかんでしまい、B席から笑いが起こりました。(B席は、熱心なヅカファン席です。それに比べ、わたしの席A席の後方は、今日は年齢の高い方が多く、お芝居では、お席のあたりは温かいからか、コックリする姿も見え、なんとイビキまで聞こえた。。。。)

レビューは今回もノリがよく、楽しめました。フィナーレのロケットの場面、ロケットボーイの星条海斗、とてもカッコいいヘアスタイルで、見とれました。あ、もちろん、ロケット、足もあがり、よくそろって良かったですよ。この人、他の群舞の場面でも、お顔がとても目立ちます。今回でファンが増えたのでしょうねぇ。

本日、中央の2列目か3列目に参議院議長の扇千景さんと同じく参議院のドン青木さんがご観劇。扇さんは、濃い挽き茶色の一つ紋の色無地のお着物でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルバラ、長谷川一夫/プロジェクトX

来年はまた宝塚で「ベルサイユのバラ」がかけられます。今夜のNHKのプロジェクトXに演出家の植田紳爾と榛名ゆりさんが出演して、昭和49年の初演のときの長谷川一夫の演技指導の話をしていました。

確か、長谷川一夫が宝塚の演技指導をしたのは、「メナムに赤い花が散る」最初だったのではないですかねぇ。
テレビで見たのか、本当に舞台で見たのか、記憶が定かではないのですが、とにかく見たと思うのです。
実際に不自然なポーズでも、客席から見ていかにきれいに見えるかに、徹底的にこだわった指導だったとその時にも聞いたような気がするのですが、今日のプロジェクトXを見ていても、その指導がまた的確だったことが、よくわかりました。

長谷川一夫は、歌舞伎役者から映画界に出ていった人です。歌舞伎の所作や舞台の使い方が身体にしっかり入っていたのですね。その歌舞伎の伝統を宝塚に伝えたというわけです。

私も、歌舞伎と宝塚、両方とも好きで見ているわけですが、最近、この二つが好きなのは当然だと思うようになりました。歌舞伎と宝塚は非常に縁が深いのです。

歌舞伎の最初は、出雲の於国の念仏踊りです。於国は、慶長8年(1603)京都四条河原の小屋で、念仏踊りや歌謡、寸劇などを組み入れた新しい風流踊りで人気を博した女芸人です。
於国の念仏踊りの衣装は、当時の南蛮人好みのニューモードの白のズボンをはき、塗り笠を被り、胸元に十字架を下げていたそうです。(十字架は信仰の証しではなく、現在と同じく、ペンダント、アクセサリーのようです)
また、特に人気だったのが、舞踊劇で、男装の彼女が「浮かれた男が茶屋の女に戯れる」という様子を見せたもので、イカしたプレイボーイぶりを踊ったものだったそうです。まさに、宝塚の世界!
その後、江戸幕府、当局の風俗取り締まり政策(?)によって、この女歌舞伎は禁止され(1629)、今度は美少年ばかりで演じる「若衆歌舞伎」になり(うん、いま人気を博しているジャニーズ系の男の子達ってところ?)、これもまたもっと風俗取り締まりによって、歌舞伎そのものが禁止されます。
その後、1653年になって、ようやくまた許可されましたが、劇(狂言)中心に舞台を組みことが条件とされました。
宝塚に惹かれ、歌舞伎も楽しいことが、源流で一致していたというわけです。

で、もとに戻りますが、長谷川一夫の演技指導が、宝塚にピッタリだったことは当たり前なのかもしれません。女が見る理想の男が宝塚の男役、男が見る理想の女が歌舞伎の女形、長谷川一夫は歌舞伎では女形だったそうですし、その後の映画界では、「水も滴るいい男役」を演じ、それぞれを体得していたのわけですから。

きのうから、宝塚友の会で来年の「ベルバラ」のチケット抽選の申し込みを受け付けています。運試しも兼ねて、申し込んでみようと思ってます。抽選に当たったら、大劇場に久しぶりに見にいこうかと。。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

クリスマスイルミネーション

山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば(古今和歌集 巻第六 冬歌)

ほんの数日前まで、紅葉の見事さを感じていたのに、今日は、もうその葉も道に落ちて、いよいよ木々も秋の派手さを捨て去り、厳しい冬の備えを整えたようです。

最近は、商店街だけでなく、個人のお宅でもクリスマスイルミネーションで飾りたてるところが多くなり、これを見るといよいよ年末だと感じます。
それにしても、庭の木にキラキラ電飾を飾り付ける、というのを最近よく見かけますが、どうなんでしょう。あれ、木には迷惑なことだろうと、つい考えてしまいます。(木だって夜は眠りたいでしょうに)しかもただ、木の幹や枝に、せわしない間隔で電飾がキラキラするイルミネーションを巻き付けているだけという、パターンが多いし。クリスマス商戦まっただ中の商店街はその目的なのだから良いのですが、住宅街では。。。
しかも、そうして、キラキラせわしない電飾をしているお宅のほとんどが、自分の家のカーテンは引いていて、家の中からは見えないようにしています。(やはりイライラしてしまうからでしょうねぇ)

家の中で、クリスマスツリーを「センス」よく飾り、それを道行く人にも楽しんでもらうようために見せるために窓近くに飾る、または出窓などに、小さな飾り物を置いて、物語を想像させるとかというのが本来だと思うのですが。。。

やはり、へそ曲がりですかねぇ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »