終戦記念日は蝉時雨の中で
朝から小泉首相の靖国神社参拝ニュース。
亡母に昭和20年のこの日、どうしていたのか聞いたことがあります。当時、母は19歳、梅田駅前に今でもある阪神電鉄本社に勤務していました。数日前から、この日の正午にラジオで重大放送があるから会議室に集まるようにと言われていたそうです。ラジオから流れる、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」という玉音放送を聞いても、すぐに何を言われているのか理解できなかったそうで、上司から「戦争が終わった」と言われ、初めてああそうなのかと思ったそうです。
西宮市今津にある自宅に帰ると、母親(つまり私の祖母)が庭で草むしりをしていて、その背中にむかって縁側から「戦争が終わったんやて・・・」と声をかけると、祖母は「ああ、そうか」と答えたこと、その日も暑くて蝉がたくさん鳴いていたことを覚えていると言ってました。
祖父は当時、阪急電鉄に勤務、50歳近くでしたし、、母には男兄弟がおりませんでしたので、家族に誰も出征中の人はいませんでした。家も西宮の空襲で運良く焼け残り(これには祖父の焼夷弾対決のエピソードがあります)、そうした一庶民の8月15日だったようです。
敗戦を知らずに母は庭に立ちトマトを摘みいし八月十五日
これは戦後50年たって、母が詠んだものです。
私の父方の祖母は、5月29日の横浜大空襲で亡くなりました。どこでどうやって亡くなったのか、いまだに不明です。(この世で会うことのなかった祖母です) 当時、一緒に住んでいた伯母と従兄弟がその翌日、逃げたであろう場所を探し、身元不明者の遺体を必死になって見て回ったそうですが、結局、探し当てられなかったとか。
父は、スマトラに出征中でした。
戦争で亡くなるのは、兵士だけではありません。特に太平洋戦争では、空襲や原爆により多くの婦女子や老人などが犠牲となりました。(ニュースでヨルダンとイスラエルの戦いを見ればわかります)
お国のために戦い亡くなった兵士だけでなく、全ての犠牲者のための慰霊塔がなぜないのだろうと思います。
戦争の最大の犠牲者は、一般市民なのですから。もちろん、横浜大空襲なら野毛山にその慰霊塔があり、各地の空襲犠牲者の慰霊塔もあり、広島・長崎には原爆慰霊碑があります。
でも、先の大戦での戦死者だけでなく空襲で亡くなった方々を含めたメモリアルがあってもいいのではないでしょうか。いつでも、誰でも、どこの国の人でも、どんな宗派の人でも、行ける場所。名前を刻む必要もなく、遺骨を入れる必要もありません。そこに行く人の心の中にあればいいのです。そして、大切なことは、そこが、戦争はいけない、いやだと、いつでも思うために行ける場所であることです。
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コメント
コメントありがとうございます。
なんか朝からこれだけ騒がしいと、静かにゆっくり考えたくなって書き込みました。
話は大きく変わりますが、アレックス君のカット面白すぎです(表情もイケテマス)。
投稿: ちちまる | 2006/08/15 17:57